その男、甘党につき

その男、甘党につき

太田出版 2013.8.17 ISBN978-4-7783-2202-1

あふれんばかりのチョコレート。氾濫するロマンティック。
――チョコレート好き紳士をめぐる、ある愛の物語。
パリに暮らすやり手の弁護士、ジャン=ルイ。彼が世界で一番愛するは――チョコレート。彼の向かうところ、いつも悩める人々が待ち受ける。果たしてジャン=ルイは、チョコレートで人々を救うことができるのか? そして、彼の秘められた過去とは……?


■初出誌
#1 truffes au chocolat トリュフ(16p)…「Otome Continue」vol.1 2010.7.17
#2 bonbons liquer リキュール入りボンボン(16p)…「〃」vol.2 2010.9.17
#3 croque en bouche クロカンブッシュ(16p)…「〃」vol.3 2010.11.25
#4 quiche lorraine キッシュ・ロレーヌ(16p)…「〃」vol.4 2011.1.21
#5 crépe au nutella ヌテラのクレープ(16p)…「〃」vol.5 2011.3.26
#6 cigarettes en chocolat シガレットチョコ(16p)…「ぽこぽこ」2013.3.28公開
#7 perle de chocolat パールチョコ(20p)…「ぽこぽこ」2013.4.19公開
#8 tablette de chocolat 板チョコ(16p)…「ぽこぽこ」2013.5.23公開
un jour, un J-L ある日のジャン=ルイ(4p)…「Otome Continue」vol.6 2011.5.22
galerie ラフスケッチ(2p)
postface あとがき(2p)

#1 truffes au chocolat トリュフ
ジャン=ルイはショコラをこよなく愛する紳士。職業は弁護士、パリに住む独身男だ。行きつけのショコラティエにはいつも素晴らしいショコラが並んでいる。店のショコラティエールのナナが試作品をつくりマスターに見せる。悪くはないものの、どうも気に入ってもらえない。「恋でもするんだな」と言われ頭に来て「ショコラと何の関係が?」と怒鳴り返すと、頭を冷やすように売り場に立たされてしまう。そこにジャン=ルイがやって来る。ナナは、大量のケーキとショコラを持ち帰らずサロンで食べるジャン=ルイを見て、自分のつくった試作品の味を見てもらう。ジャン=ルイの答えは…。

ナナは女性のショコラティエ(ショコラティエール)なので、こういうお話が出来るのでしょう。「君の味が知りたい」なんてジャン=ルイのような紳士に言われてしまったら、そりゃ恋もしますね。ショコラとそのエロティックさを追求する作品になるのだろうと、このときは感じました。えすとえむ先生にはぴったりな題材で、期待できるなと思いました。

#2 bonbons liquer リキュール入りボンボン
ジャン=ルイがいつものように店に行ってプラリネを口にすると、ショコラティエのアンリを呼び出す。「味が違う。家庭のいざこざを仕事に持ち込むな」と言うと「お前の舌は誤魔化せない」と頭をかかえる。二人は昔なじみでアンリの妻のこともジャン=ルイは知っている。酒を飲みに行って妻との不仲を愚痴るアンリに、ジャン=ルイは…。

扉絵はウイスキーグラスを傾ける男性とワイングラスを傾ける男性にまじってボンボンを口に運ぶジャン=ルイです。アンリとバーで飲んでいるときも、彼はボンボンを口にしています。「飲めなくて悪いね」と言っているので明かですが、ジャン=ルイは典型的なお酒の飲めない甘党なんですね。最近ではお酒も飲むけど甘いものも好きという人もいますが、それほど一般的ではありません。
ところで、親方とかマスターとかマエストロとか、ショコラティエの親方何て言えば良いのでしょうね。フランス語で「マトレ」なんでしょうけれど、なんか一般的じゃないような気がします。ご教示下さい。
今回はBL魂炸裂です。今回は来たな、と思わせておいて…というのは、著者の作戦ですね。

#3 croque en bouche クロカンブッシュ
昔の恋人の結婚式に呼ばれたソニア。しゃくに触るが、プライドが高いせいで招待されて行かないわけにはいかない。ファッション誌の編集長をしているソニアには花嫁も花嫁のドレスも招待客の服もすべてダサいとしか見えない。甘いものは嫌いなのに、クロカンブッシュのシューをやけ食いのように食べていると、気付かぬうちに口から毒を吐いていた。するとクロカンブッシュの向こうから「シューを食べつつつぶやくにしては、いささかトゲがありすぎる」と声をかけてきた男がいて…。

仕事の出来る妙齢女子たちの共感を呼びそうなお話です。フランスにもこんな保守的な男性とそれを受け入れる女性がいるんですね。
フランスではウェディング・ケーキとして使われるクロカンブッシュだそうですが、「シューをキャベツに見立てて、子孫繁栄の願いを…」というあたりが、今の若いオシャレなパリジェンヌなんかが好むものなのかしら?と疑問に思いました。やはりモードの最先端の人にはちょっと「ダサい」ものなのかもしれません。
ジャン=ルイの「どんなにきちんとコーティングしていても、高く積み上げすがぎたものは容易に崩れる」というのは重い言葉です。女性の高いプライドを指しています。その一方で「コーティングされているシューの味は外側からはわからないなんて、もったいない」なんて語りかけるなんて、罪な男ですね。

#4 quiche lorraine キッシュ・ロレーヌ
無類のショコラ好きのジャン=ルイにとって最大の敵は虫歯。ずっと気をつけていたのに、虫歯になってしまった。歯医者での治療はもちろん辛いが、それより辛いのは医者に甘いものを控えるように言われてしまったこと。まるで拷問だ、と苦しむジャン=ルイだが…。

ショコラをテーマにしたら、この問題は避けて通れないのですが、こういうスタイリッシュなタイプの作品で出して来るとは、ちょっと意外でした。それを「キッシュ・ロレーヌ」にもっていくのがうまいなと思いました。私自身はキッシュ・ロレーヌはお菓子っぽいけどおかずという、少々中途半端な感じであまり好きじゃないのですが。それにしても、虫歯治療中のジャン=ルイもセクシーです。
最新式の音波洗浄歯ブラシは本当に良いらしいです。私はまだ電動ですが、結構高い電動歯ブラシにしたら、一気に良い感じです。歯がつるっつるになるので、気持ちいいです。

#5 crépe au nutella ヌテラのクレープ
マルディ・グラに沸き立つ街中でジャン=ルイは一人の少女に出会う。ジャン=ルイは彼女を母親が見つけるのを待つ間、クレープに彼女を誘う。ジャン=ルイがクレープにのせたのは、店から特別に出してもらった「ヌテラ」。少女は女優志望なので、そんな脂肪の塊のような食べ物は母親からきつく禁止されているのだが…。

マルディ・グラはフランス語で「ふとっちょ火曜日」、謝肉祭の最終日=灰の水曜日の前日を指します。長い断食を前に「食いだめ」をする日だそうです。その食いだめをショコラの中でもかなり脂肪分の高いチョコレートクリーム=ヌテラでやっていたジャン=ルイ。私がヌテラを初めて知ったのはヤマザキマリさんの「それではさっそくBuonappetito!」です。ローマのフランチェスコ・トッティがどれだけヌテラが好きかというエピソードが登場します。イタリア男を魅了するヌテラだそうです。ジャン=ルイはフランス男ですが、甘いものに目がないので、ちゃんとチェックしていますね。

#6 cigarettes en chocolat シガレットチョコ
ジャン=ルイの幼馴染みのロランはあるショコラティエの家の息子。父とともに店で働くロランは、店がパリのはずれにあるため、中心部の良い場所に移転したいと考えている。ところが父親が反対しているため、小さい頃からこの店の常連であるジャン=ルイに相談してきたのだ。ジャン=ルイは人が求めてくるのは味だけではない、と反対する。イライラしたロランが煙草を吸おうとするが、あいにく切らしている。そのときジャン=ルイが差し出したのはロランの店のシガレットチョコだった。

パリはステキですね。郊外にもたくさんショコラティエがあって、生活に密着しているなんて、素晴らしい。ケーキ屋ではなく、ショコラティエがあるのは、人々のショコラへの欲求が高いだけではなく、それが日常だからなのでしょう。
ここから連載がウェブになります。一瞬だけ、少年時代のジャン=ルイが登場します。ちょっとあれ?と思わせる前振りです。この後、ジャン=ルイの過去が少しずつ明らかになります。

#7 perle de chocolat パールチョコ
ジャン=ルイがいつものショコラティエにやって来ると、パティシエのナナが店番に立っている。彼女のショコラもすっかり定番になっている。瓶に入ったパールショコラが三種類、ミルクとビター、ホワイトショコラを定番化出来ないか考えているとナナが言う。ホワイトショコラのものは本物のパールのようだ。ナナは瓶のふたをあけてジャン=ルイに食べてもらおうとするが、うっかりショコラをばらまいてしまう。白いパールの散らばる様子が、ジャン=ルイに幼い頃の苦い記憶を呼び起こさせる。

ジャン=ルイの母親が登場します。「シガレットチョコ」でちらと登場しましたが、彼にとっては甘えられる優しいお母さんではなかったようです。子供をどう扱ったら良いかわからない人だったのでしょうね。それでも、少しずつ関係が改善されていくようです。

#8 tablette de chocolat 板チョコ
ジャン=ルイがしばらくショコラティエに顔を見せないので、ナナばかりでなくみんな心配している。実はジャン=ルイは仕事の用件と古い友人が出る芝居の観劇のためにニューヨークに来ていたのだ。パリへ戻る空港で古い友人は子供と一緒にジャン=ルイを見送りに来た。せわしなく電話をする彼女と寂しそうな子供。そこでジャン=ルイが子供にショコラの魔法をかける。

前回のお話に登場しましたが、ジャン=ルイは結婚したことがあり、今は独り身のようです。子供は彼との子供ではないようで、彼と別れた後に他の人との間に出来た子供なのでしょう。でもその子の父親は登場しないので、やはりその男とも別れているのでしょうね。ジャン=ルイとは険悪に別れたわけではなく、夢を追う彼女を止めなかったということなのでしょうね。
ジャン=ルイがしばらくの間パリを離れて恋しくなったのは、パリのショコラだけなのでしょうか?素敵なエンディングでした。

un jour, un J-L ある日のジャン=ルイ
ジャン=ルイの日常を描いた4ページ。朝起きてまず、ココア。仕事中はショコラをつまみぐい。仕事の後もいつもの店でショコラ。本当にショコラだらけです。


太田出版の「Otome Continue」というマンガ・アニメを中心とした隔月刊の情報誌に連載されていた作品です。1回16ページ、1話完結で連作短篇形式の作品でした。創刊は2010年7月。ところが第6号、2011年5月発売号をもって休刊してしまいます。木皿泉×羽海野チカ対談や山岸凉子×萩尾望都対談など、わかる人にはたまらない意欲的な企画をたくさん打ち出していた雑誌で、非常に残念でした。おそらくは全体的にテーマがマニアック過ぎたのでしょう。

連載が中断になり、この量では単行本にならない。もったいないと、とても残念に思っていました。“このサイトについて”に書いたとおり、えすとえむ先生にはこんな単行本未収録作品が他にもあるのではないか、と探ってみたところ出てきたので、単行本の感想などとともにそのデータをtumblrにアップし始めたのが、2011年の夏頃です。それらの情報を集めて、2013年初頭にこのサイトを立ち上げました。

するとその直後、2013年2月14日から太田出版のwebマガジン「ぽこぽこ」に第1話から順次掲載され始めました。どうやらオリジナルが何本か追加される見通し。これで単行本化するのだなと、とても感動したのを覚えています。えすとえむ先生も編集の方も、この作品がこのまま本にならないのはもったいないと思って下さったのでしょう。5月までに新作が3本追加されました。サイトでの掲載は6月20日に終了しましたが、7月下旬、無事に本として刊行されたわけです。ファンとしてはたいへんありがたかったです。

単行本には雑誌とウェブで連載された作品の他、イラストギャラリーとあとがきのコミックエッセイも追加して下さり、とても嬉しいです。また、装丁がとても凝っていて、リボンのような金オビ、トレーシングペーパーのようなカバー、ブルーの表紙、扉絵も包み紙のよう。本文も黒ではなく焦げ茶インク。チョコレートをつつむ包装をすべて再現しています。この金オビだけ書店で行われる熱性シュリンクのビニールとくっついてしまうため、初期出荷以降はすぐに取り替えられたそうです。ネット書店なら大丈夫なんですが。

当たり前過ぎてつい触れるのを忘れそうになりますが、タイトルは北野武監督映画「その男、凶暴につき」のパロディです。